岡村正吉元虻田町長との思い出

人生出会いと別れがありますが、お世話になった方との再会・赤ちゃんとのご対面・ご支援者のご逝去・尊敬する人のご逝去、、、、今日はいろいろありました、、、、。
本日は、出会いと別れのオンパレードです。札幌でシンガポールに駐在していた時に大変お世話になった方との再会、学習塾時代の教え子の赤ちゃんとのご対面、ご支援者・尊敬している方との別れでした{%トホホwebry%}
お昼過ぎに岡村正吉旧虻田町(現洞爺湖町)町長が札幌の病院で亡くなった訃報に接しました。。享年88歳でした。死んだ父と親交が厚く岡村さんが北海道教育長を辞め、地元虻田町の町長選挙に出るときは、自分の家が臨時の選挙事務所の役割をしてたことを昨日のように思い出しました。本日所用で札幌におりましたので、中央区のご自宅に駆けつけることができました。今日は親父の導きか不思議な日でした。

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父が早くに亡くなり、岡村さんは、自分の事をよく気にかけて頂きました。東京の大学に進学したとき、「花は自らの美しさを知らず されば奥床し」と色紙を頂きました。就職直前には、叱咤激励する言葉を頂きました。「最近は、いよいよ職の定まらない人が田舎に帰ってくるようですが、田舎は東京以上に就職は厳しい。30歳代の前半ぐらいは、都会で苦労して何かを身につけなさい。今からでも現実的な苦労を開始しなさい。」と20数年前に言われました。50歳手前で地元に戻ることになりましたが、、、、。
また、10数年前証券会社を辞め、シンガポールから帰国したときも、「自分をやっつけなくちゃ、進歩は生まれません。俺は偉いんだ。俺は出来るんだと思ったトタンもうおしまいになるんです。」お手紙を頂いたときに手が震えた記憶が蘇りました。
岡村さんは町政の責任者として24年間走り続けました。人の評価は様々です。立ち位置が変わると見方も変わります。ワンマン町長と言われたようですが、私は、精一杯町のために頑張られたお一人と思います。
夕方、支援者で縁者の自動車整備工場社長の葬儀に参列しました。4月の補欠選挙の前に立候補の挨拶に行ったとき、「やっと若いのが出てきたか」と喜んでくれました。いろいろアドバイスを頂き、30数年間の空白を埋める貴重なお話を頂きました。
岡村元町長、川端のおじさんのご冥福をお祈り致します。合掌。

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. by 夢北大地

    死んだ父と親交が厚く岡村さんが北海道教育長を辞め、地元虻田町の町長選挙に出るときは、に関連して記述させていただきます。前職「横山氏陣営」選挙参謀がわたしの父でした。喜茂別町長選挙にも父が陰で選挙仕切っておりました。私の結婚式を南富良野町で行うときも当時の道議、高橋氏や朝倉氏とともに横山氏にも結婚式にご出席いただいたほど父と横山氏は親密な関係でしたが、父の町議会議員実績は岡村町長からも評価いただいて四期の自治功労者表彰いただいております。