噴火を語り会う会&野生動物追跡最前線

1977年8月7日午前9時12分有珠山山頂から軽石噴火が始まりました。ちょうど35年前の出来事です。
「1977年有珠山噴火を語り会う会」と野生動物追跡最前線2012withJICA・とうや湖GENKIDSの活動を見学しました。最初に野生動物追跡最前線の話題から、、、。

画像

昨日から本日まで2日間、酪農学園大学野生動物追跡最前線2012のプログラムが洞爺湖で開催されました。このプログラムには、JICA(国際協力機構)の招きで来日している研修生、洞爺湖教育委員会実施のとうや湖GENKIDS(小学生4年生以上の子供がさまざまな体験活動するプログラム)も参加しました。

画像

JICAの研修生です。洞爺湖の生態系の調査でした。特定外来種ウチダザリガニについて。吉田先生からご紹介頂き、昨年に引き続き洞爺湖町を代表して歓迎のスピーチをさせて頂きました。へたな英語でしたが、、、、。

画像

特定外来種ウチダザリガニです。洞爺湖町と壮瞥町では、専門の駆除チームがいます。

画像

ちびっ子チームもスケールを使ってウチダザリガニの個体を計測してます。

画像

JICAの研修生とちびっ子達との国際交流です。日本のしょぼい外交官よりちびっ子親善大使たちのほうが良い感じでコミュニケーションしてました。

画像

JICA研修生と記念撮影。2日目には、去年と同様に一緒に洞爺湖中島でエゾシカ調査に行く予定でしたが、会議が入り欠席。ちょっと、、いや、、、かなり残念。

画像

本日午後から、お隣の町・壮瞥町主催の「77年噴火を語り会う会」に出席しました。場所は、道の駅そうべつ情報館で開かれました。35年前の今日8月7日に噴火しました。
解説者は、有珠山の主治医で有名な岡田弘氏(北海道大学名誉教授)、新井田清信氏(前北海道大学理学研究院准教授、様似町アポイ岳地質研究所所長)、昭和新山のオーナーファミリー・三松三朗氏(三松正夫記念館館長)でした。
三松館長は、1977年噴火前の有珠山の映像を披露してくれました。この映像は、昨年の日本ジオパーク大会にて脚本家の倉本聡さんから譲り受けた映像とのことでした。大変懐かしかったです。また、当時のNHK番組の映像も編集して上映し、当時の噴火報道で噴火活動の一部を振り返りました。NHK番組の記者が、7月の議員研修会の講師だった手島龍一氏でした。かなり驚きました。声は、変わってませんでしたよ。

画像

2番手は、新井田先生による「火山勉強会」のメディアを中心とした勉強会の資料で当時を振り返りました。

画像

文政1822年の火砕流、火砕サージの資料をで山頂噴火のポイントなどを解説して頂きました。また、有珠山の火山活動状況を休止期間、前兆地震、噴火地点、火砕流などで分類されて説明がありました。

画像

大変興味深かったのは、この有珠火山構造図です。有珠山を中心に過去・現在の噴火口の位置です。

画像

色分けした帯状になっているところは主列のメインラインです。次の噴火の可能性を示唆するデータです。主列のほかに副列もありました。火口と潜在ドームのラインを結ぶと副列が現れます。来たる次の噴火の参考になりました。
当時の映像、写真を見ながら1977年の噴火の一端を振り返りました。岡田教授がマイクを持ち、「語り会う会」だから参加者にも当時を知る人からお話を聴きたいと提案がありました。山中前壮瞥町長も出席していたので、山中さんが当時について話しました。また、元壮瞥町役場職員、洞爺湖温泉地区のホテル経営者から体験談が語られました。
この77年の噴火活動から約2年間にわたり大小の噴火活動を繰り返しました。噴火活動が終わっても地殻変動があり、降雨によって泥流が発生し多くの家屋が壊れたり浸水したりしました。死者行方不明も出ました。仲の良かった友人から、「俺の叔母と従姉弟だったんだ。」と言われ足が震えました。あれから35年、、、、。
「77年有珠山噴火を語り会う会 35周年記念」、、本日の主催は、壮瞥町でした。1977年の有珠山噴火では、壮瞥町、洞爺湖町、伊達市などが被害を受けました。しかしながら、主に洞爺湖町(旧虻田町)の洞爺湖温泉地区が甚大な被害を受け町並みも大きく変わり、人口も減りました。
本来なら、この「有珠山噴火を語り会う会」は、洞爺湖町が主催するべきではなかったのか。何も昔を懐かしむために集まったわけではないと思います。当時の噴火活動を振り返り、次の噴火にどう備えるか、みんなで考える会合です。洞爺湖町からは、企画防災課課長、今年新設されたジオパーク推進課が来てましたが、、、、。
本来なら、この「有珠山噴火を語り会う会」は、洞爺湖町が壮瞥町に頭を下げてでも共催して手伝うべきではなかったのか。
「安心、安全な町づくりを目指し、減災教育の推進や火山に対する理解及び防災意識の啓蒙を図ってまいります。」と町長が町政執行方針で以前述べてましたが、言葉は悪いがチャンチャラおかしい。1977年噴火、2000年噴火で一番ダメージを受けた自治体が防災、減災に向けた節目での啓蒙活動を行わないでどうするのか。
お隣の町・壮瞥町では、「壮瞥町防災キャンプ」 「有珠山登山学習会」 「JICA札幌 中南米火山危機管理能力強化コース」など実施しながら研究者と大変緊密に連携しながら啓蒙活動をしているように感じます。研究者・学者とのコミュニケーションが壮瞥町はうまくワークしてるように感じます。どんな分野でも最後は、個々の人間関係、ネットワークが物事を動かす大きな力になるのではないでしょうか。理論、理屈だけでは継続的に人は動いてくれないと思っています。
有珠山の防災・減災への備えや洞爺湖や中島の自然環境の管理にしても、洞爺湖町がどうだ、壮瞥町がどうだと言う時代ではない気がします。洞爺湖は、洞爺湖町が主で目配りして有珠山は、壮瞥町が気配りするようなバイアスを自治体周辺から感じます。
旧虻田町時代の故岡村正吉町長が言っていたように、洞爺湖周辺・有珠山周辺は広域連合で権限委譲して管理するぐらいのアイディア、度胸が必要だと思いました。そうじゃないと周辺住民が不幸だし、この地を訪れる人たちにも不便をかけると思います。
「語り会う会」に参加してつくづく思いました。“おらの街の洞爺湖、有珠山”、、じゃないですよ。国からお預かりしている国立公園なんですから、、、、。また生意気なブログを書いてしまいました。