鳩山由紀夫代議士
鳩山由紀夫総理大臣辞任{%泣くwebry%}
今から17年前、鳩山代議士が自民党の離党会見を苫小牧市のホテルで行ったとき、町会議員である叔父の運転手として数人の議員を乗せ走りました。その時は、実にさわやかに思いを支援者に伝えていたことをつい数日前のように思い出しました。
鳩山代議士が自民党を離党し新党さきがけの選挙では選挙事務所でボランティアとしてお手伝いし、その後、旧民主党時代から遊説の時は叔父の運転手をしながら街頭演説を幾たびが聴かせて頂きました。昨年の衆議院選挙でもまたボランティア活動をし、選挙・政治の仕組みを少なからず勉強させて頂きました。鳩山代議士が所属する政党が支持政党であり、いわば、鳩山党に所属しているのかもしれません。さまざまな報道がなされている中で代議士の思いをしっかりと伝えているメディアは少ないのかなと思いました。自分も4月に選挙の洗礼を受け新米地方議会人として一歩を踏み出した矢先の辞任で大変落胆しております。この度の辞任会見、長きにわたり支援して頂いている皆様にはいろいろな思いで、考えで、お気持ちで、代議士の顔を見つめ、テレビの前で釘付けになられたとお察し致します。
数年前、代議士が「僕の弟と同じでオレゴンにいたんだね。」と声をかけて頂きました。大変驚いたことを昨日のように思い出します。辞任の理由は様々です。「日本はアメリカの51番目の州だ!」と時々感じることがありましたが、まさしく代議士が躓いた普天間問題は、アメリカサイドが「日本はアメリカの州の一部。」と誤認しているからとも考えられます。安全保障問題は連綿と引き継がれ、時の政権の思惑をはるかに越えるものです。メディアは、鳩山憎しですが、せめて自分は、僭越ではありますが代議士を労いたいと存じます。「本当にご苦労様でした。これからもご見識を存分に働かせ頑張って下さい。」支援者はただただ代議士の継続的政治活動を望むばかりです。