亘理町、下道家のふるさと!
「仙台・亘理と伊達市の連携を強める」第3回学術連携講演会に出席しました。
だて歴史の杜カルチャーセンターにて、伊達市噴火湾文化研究所・東北大学東北アジア研究センターの学術交流会に参加しました。
第一部は、「震災と電波科学 防災・減災技術と遺跡調査への応用」と題して、佐藤源之教授(東北大学東北アジア研究所センター長)による講演でした。
ご講演の内容は、東日本大震災では亘理町を含む太平洋沿岸地域の津波被害が甚大でしたが、佐藤教授の研究室では、レーダーやリモートセンシング技術を使った早期の広域被害状況の調査が行われ、町づくりの観点から防災・減災に役立てているとのことでした。
具体的には、津波被害を軽減するため、住宅の高台移転が検討されるなかレーダー技術の地中の可視化を利用して地すべり計測、地表変位量の測定、移転地に伴う遺跡調査も実施している実例を紹介されました。また、仙台藩伊達家ゆかりの松島瑞巌寺、奈良東大寺などで行った遺跡調査から今後の展望についても述べられました。
第二部は、「明恵上人と西遊記物語~日本と中国・朝鮮半島の心の交流~」と題して、磯部彰教授(東北大学東北アジア研究所センター)による講演でした。
ご講演の内容は、唐代初期の玄奘三蔵のインド旅行が伝説となり、宋代に物語にされて、後世に「西遊記」となったことについてを話され、日本で唐三蔵ものがたりを愛した京都栂尾の高山寺の僧・明恵上人が読み書きした故事・仏教説話を通して、鎌倉時代の中国や朝鮮半島との心の交流について述べられました。
2006年から伊達市噴火湾文化研究所と東北大学東北アジア研究センターが学術協定を結んだと、大島直行所長から講演会冒頭にご挨拶がありました。ぜひ息の長い協定活動をしていただきたいと思います。
講演会の時間前に伊達市開拓記念館に立ち寄りました。記念館正面入り口にある仙台藩一門・亘理領主伊達邦成主従の士族による集団移住のときの開拓屋敷の地図です。
開拓当初から伊達市の町並みは、外部からの敵の侵攻を妨げる要塞を意識して作られてきました。
それを象徴するのが、わざとズレて作られている交差点やジグザグの道路です。このように道路を作ることで、万一敵が攻めてきても地形を把握するのに時間がかかり、敵の侵攻を食い止めることができるとのことです。
現在でも伊達市の道はわかりにくいと言われるのには理由があったんだなーと久々に記念館に行って思いました。
開拓屋敷地図の外れに高祖父の「下道幸四郎」があります。戊辰戦争に負けて移住して苦労したんだろうなとしばし地図を眺めてました。
大震災による亘理町の被害も甚大で死者・行方不明269人で世帯数11442のうち、住宅・建物被害が3353件とのこと。約4割の世帯が被害を受けたなか、震災発生後から伊達市が亘理町に様々な援助、応援をしていると宮城のメディアが大々的に報じていると東北大学のお二人の教授も述べていました。
伊達市と仙台・亘理は大変縁が深いので、さまざまな形で連携を強めてほしいとあらためて思いました。