戦没者追悼式(虻田地区)と自衛隊研修の思い出

本日、戦没者追悼式(虻田地区)が行われ、7月22日洞爺地区に続き英霊の御霊をお慰め致しました。

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青葉町忠魂碑前で戦没者追悼式が行われました。国歌斉唱・黙祷のあと、追悼の辞がありました。

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真屋洞爺湖町長・千葉議会議長・和田孝道洞爺湖町遺族会会長の追悼の辞がありました。そのあと、献花をさせて頂きました。この忠魂碑は、ある陸軍大将の筆跡であるとのこと。
陸軍と言えば、旧陸軍戦車隊(現・陸上自衛隊第一習志野空挺団)に3日間研修したことを思い出しました。四半世紀前、証券会社に入社後、企業の新人研修で男子新人全員が陸上自衛隊第一習志野空挺団に体験入隊しました。
挨拶などの敬礼、敷地内を歩くときの方向転換の基本動作、部屋のベッドメーク、掃除、日本の防衛ラインの簡単な講義などがありました。かなりきつかったです。トイレに行くのも二人行動が義務でした。電話するのも二人で基地内の電話ボックスまで行く。(当然携帯なんかない。) 3日間、同期生が彼女に日々の報告するのを付き合わされた{%知ーらないwebry%}。彼は、あまりのきつさに泣きながら電話してましたよ。
当時、「習志野第一空挺団の食事は陸自で一番美味しい。」と自慢してました。確かに白米と麦の混ざったご飯はとても美味しかったです。かなり規律が厳しくご飯だけが楽しみな3日間だった。
最終日前日の早朝に突然たたき起こされて全員整列し、靴のひもをチェックされ腕立て伏せを50回させられました。そのあと、重さ20キロの水を背負って習志野の基地内を18キロをひたすら行進しました。今なら企業の新人虐待と言われるかもしれない。
企業人事部は、規律の厳しい自衛隊に体験入隊させ学生気分が抜けない新人にしつけや礼儀を教えることがねらいだった。でも研修後、自分達は学生気分がぶっ飛び、これから社会人になるんだという意識が強く芽生え、終日寝るまで規律、規律だったけど、連帯感・協調性を学んだことは事実です。こんなことを追悼式で思い出しました。